2020年 ディプロマ取得 大川 早希 さん

FGAを目指したきっかけ

私がFGAを目指すと決めたのは小学生の頃、父がマッチ棒で何かを作ろうと四苦八苦した挙句に挫折し、何を作ろうとしていたのか尋ねたら怒られたのがきっかけだ。いつかマッチ棒の謎を解く!

先日会社の倉庫の片付けをしていたら、額装されたFGAディプロマ資格証書を見つけた。1984年と記されている。私が「将来の夢はFGA!」と小学校で言いふらしていた時、父は勉強を始めたばかりだったようだ。そういえば、その後もカリカリカリカリ勉強は数年続いていたかもしれない。

FGAの勉強(通信添削コース)

うちは宝石店を営んでおり、父はFGAの資格をもっていたから、家業につけばすぐに勉強も始められるものと思っていたが、そうは問屋が卸さなかった。私が就職したころ、仕事はもっとも手広くなっていた。毎日徹夜してもやるべき仕事の全ては片付かない…間に合わない!出来ない!まだまだある!どんどん溜まる!…睡眠不足・不規則・不摂生が続いた数年後、仕事が出来なくなった。引きこもり鬱鬱…鬱鬱している今は0…こうしている間に100だったものは150…200と増殖していく。耐え難かった未処理仕事の重圧から逃れたはずが、ひたすら増していった…こっちの方がヤバイ!1でも2でも減らした方が楽!と気づいた翌日仕事に戻り、以後不足も未熟も未処理も、大きな支障が無ければ貯めておくことができるようになった。

ある日突然、父に肺ガンが見つかり余命宣告をうけたため、会社の後を継ぐことになった。しまった!経理事務ばかりしてきて専門のこと何も知らない!ヤバイ!…そうだ!FGA!数年前に学べる場所を探して見つからなかったけれど、試しにもう一度探してみよう!と、ネット検索したらあっさり見つかった。けれど…この、さらにやるべきことが増え、会社が最も不安定な今勉強?…と一瞬躊躇した。が、この先、自分のなかに絶対に頼れるものが必要なので、とりあえず始めてみることにした。

ファンデーションの合格通知が届くまで父は衰えを見せなかった。しかし、その直後くらいから勉強どころではなくなった。嵐が少し収まった一年後、先生から勉強再開の催促をいただいた。いずれにせよ、一つやれば一つ減り、一つ学べば一つ増える、のだからと再開してみたら、前に学んだことは雲散霧消、霧の彼方であった。しかたなく、巻き戻し勉強を始めたら、なんだか面白い。分厚いテキストの文字の羅列が、浮き出る絵本のように立体的になり、リアルな映像になっていった。楽しい…しかし楽しいだけでは受からない。手と頭のアスリート化が足りず、最初のディプロマ試験は落ちた。

FGAを目指す方へ

FGAの勉強をすると、マッチ棒の謎は解けます。

今ここに、学べる場所があり、教え導いてくださる先生方がおり、日本語のテキストがあり、様々な補助教材があり、誰でも学ぶことができて、いろんな方と出会える、というのは、本当にありがたいことだなぁ、とつくづく思います。

講師より

宝石学ディプロマ合格、おめでとうございます。
いろいろ大変な状況の中、最後まで本当によく頑張りました。
これで小学生からの夢、FGAが実現しました。
天国のお父様も、さぞお喜びの事でしょう。
親子二代のFGA、益々のご発展を期待しております。